YouTubeを開いたら、10年前によく聴いていたアーティストの音楽が、突然おすすめに出てくる。
「あ、懐かしいな」と思って、ついクリックしてしまう。そのまま聴いているうちに、当時のことを思い出して、ちょっと物思いにふけってしまう。
そんな経験、ありませんか。
僕にもあります。別に、その曲を探していたわけではないんですよね。でも、ふと目に入ったことで、久しぶりに聴きたくなってしまう。
そして、聴き始めると、ただ「いい曲だな」と思うだけでは終わらない。その頃の自分が何をしていたか、どんなことを考えていたかまで、少しずつ思い出してくる。
YouTubeのアルゴリズムも、ちょっと憎いことをするなと思います。
でも、こういう体験をすると、改めて感じるんです。
思い出が、YouTubeの中にあるんだな、と。
動画がたくさん保存されているだけではなく、見る人の側にも、その動画と過ごした時間が積み重なっている。
昔の音楽を聴けば、当時の自分に戻れる。好きな人の配信があれば、それが来週の楽しみになる。
僕にとってYouTubeは、単に情報を配信したり、暇をつぶしたりするためのものではありません。
人の生活や記憶に関わる場所。
少し大げさに聞こえるかもしれませんが、本当にそう思っています。
今日は、僕がなぜYouTubeを中心に動画制作の仕事をしているのか。そして、制作を通じて何を届けたいと思っているのかを、少しお話しさせてください。
好きなのは、動画だけではなく「そこで過ごす時間」
僕がYouTubeを中心に仕事をしている理由は、突き詰めると、とてもシンプルです。
自分自身が、YouTubeを好きだからなんですよね。
知りたかったことを教わったり、好きな音楽や、誰かが演奏したアレンジに出会ったり。誰かの言葉に支えられたり、救われたりしたこともあります。
僕は、YouTubeのおかげで情報がずいぶん開かれたと感じています。
それまでなら、自分の周りに詳しい人がいなければ知る機会のなかったことを、動画を通じて教わることができる。自分とは違う経験をしてきた人の話を、直接聞くような感覚で受け取れる。
僕にとっては、自分の世界や選択肢を広げてくれた場所でもあります。
そして、YouTube動画の編集という仕事に出会い、個人として生計を立てる道も開けました。
学びや楽しみをもらっていただけでなく、仕事や生き方にもつながっている。だから、このプラットフォームには、やっぱり特別な思いがあります。
ただ、「お世話になったから恩返しをしたい」というだけでもないんです。
今も一人の視聴者としてYouTubeが好きで、あの時間のよさを知っているから、その体験をつくる仕事に関わっていたい。
感謝と、現在進行形の「好き」の両方があるんですよね。
特に好きなのは、一日の終わりに、少し落ち着いて動画を見る時間です。
仕事が終わって、夜にちょっとお酒を飲みながらYouTubeを開く。映画を一本見るほどの時間はないけれど、ただ次々と画面を流していたいわけでもない。
好きな音楽を聴いたり、誰かの話に耳を傾けたり、知らなかった世界に触れたりしたい。
映画を見るほど時間はないけれど、腰を据えてコンテンツを楽しみたい。
僕には、YouTubeのあの距離感がちょうどいいんです。
毎週決まった日に配信するYouTuberがいて、「今週もあの配信があるから、そこまで仕事を頑張ろう」と思っている方もいるのではないでしょうか。
それはもう、動画を一本見るというだけではなく、日々の生活の中に楽しみがある、ということですよね。
僕にとってYouTubeは、日常の中で、楽しさや学び、ときには支えを受け取れる場所です。
だから、「YouTube動画の編集をしています」という業務の説明だけでは、自分がこの仕事をしている理由を、うまく言い切れない気がするんです。
ショートを否定したいのではなく、じっくり向き合う体験をつくりたい
もちろん、ショート動画にも楽しさがあります。
短い時間で面白いものに出会えたり、知らなかった人に興味を持つきっかけになったり。僕自身、短い動画の表現や見せ方を考えることもあります。
ただ、「今はこのフォーマットが流行っている」「こういう見せ方が伸びやすい」という話だけでは、自分がYouTubeに感じている魅力を語り切れないんですよね。
僕が大切にしたいのは、じっくり見ているうちに理解が深まったり、その人の考え方や人柄に触れて、だんだん好きになったりする体験です。
最初はテーマに興味を持って見始めたのに、見終わる頃には、その人自身に興味を持っている。
話を聞いているうちに、「この人は、こういう経験をしてきたから、この考え方を大切にしているんだ」とわかってくる。
そういう時間を、僕はつくりたいと思っています。
だからといって、「ショートでは心は動かない」とか、「長い動画の方が優れている」と言いたいわけではありません。尺が長ければ、それだけで深い体験になるわけでもないですからね。
僕の原点としては、こういうことです。
自分自身が、じっくり向き合う動画に心を動かされてきた。だから、その力を信じている。
つくる側として大変だと感じることもあります。それでも、その先にある視聴体験を知っているから、向き合っていたいんです。
心を動かす理由は、コンテンツの中だけではなく、見る人の中にもある
ここで、最初の音楽の話に戻ります。
10年前によく聴いていた曲に、なぜ心を動かされるのでしょうか。
もちろん、曲そのものの力はあります。歌声やメロディー、歌詞が好きだから、もう一度聴きたくなる。
でも、それだけではないと思うんです。
その曲と一緒に過ごした、自分の時間があるから。
同じ曲を聴いても、初めて聴く人と、10年前に何度も聴いていた人とでは、受け取るものが違うはずです。
僕の場合も、音楽と自分の記憶が重なったことで、ただ「いい曲を聴く」以上の時間になったのだと思います。
そのとき心を動かされた理由は、「今伸びやすい見せ方が使われていたから」ではありません。
音楽そのものの力と、自分の中にあるものがつながったから。少なくとも僕は、そう感じています。
このことを動画制作に置き換えると、大切なのは、つくり手がどれだけ熱を込めるかだけではないのだと思います。
その熱や価値が、見る人の何とつながるのか。
そこまで考えて、初めて「届く」ということになるのではないでしょうか。
それは、思い出かもしれません。今まさに抱えている悩みかもしれません。「本当はこうなりたい」という願いかもしれません。
そして、「心を動かす」というのは、必ずしも泣かせたり、強い刺激を与えたりすることではないと思っています。
「この話を聞けてよかった」
「こういう考え方もあるんだ」
「この人のことを、もう少し知りたい」
「自分もちょっとやってみようかな」
そんなふうに、見終わったあとに、気持ちやものの見方が少し変わっていること。
僕がつくりたい動画は、そういう変化を生む動画です。
熱を足すのではなく、すでにある熱の理由を見つけたい
ビジネスでYouTubeを使うときも、僕は同じことを考えています。
サービスをもっと知ってもらいたい。自社の魅力を伝えたい。採用につなげたい。お問い合わせを増やしたい。
その目的は、とても大切です。
ただ、発信する側が強く伝えたいことと、見る人が受け取りたいことは、最初から同じとは限りません。
自分たちにとっては大事なこだわりでも、初めて見る人には、その意味がまだ伝わっていないこともあると思います。
だからこそ、僕のような第三者が間に入る意味があると考えています。
「なぜ、そこまでこだわるんですか?」
「その経験から、何を変えたんですか?」
「その工夫によって、お客さんは何から解放されるんですか?」
僕が聞きたいのは、そういうことです。
「品質にこだわっています」という言葉が出てきたら、何をもって品質と考えているのかを、もう少し聞いてみたい。
「お客さんに寄り添います」と言うなら、実際にどういう場面で、どんな判断をしているのかを知りたい。
その人にとっては当たり前すぎて、わざわざ説明してこなかったことの中に、見る人が知りたかった理由があるかもしれません。
だから、発信者の中にある想いを掘り下げて、視聴者が「それは自分にとって大事だ」と感じられる言葉や場面にしていく。
僕にとっての企画や制作のサポートは、そういう仕事です。
熱を足して盛り上げるのではなく、すでにある熱の理由を見つけて、相手に伝わる形にする。
「魂や熱を込める」というと、大きな声で語ったり、感動的な音楽をつけたりすることを想像されるかもしれません。
でも、僕が大切にしたい熱は、もっと具体的なものです。
なぜ、その仕事を続けているのか。なぜ、そのやり方を選んでいるのか。なぜ、そこだけは譲れないのか。
その理由が、言葉や行動から伝わることを大切にしたい。
飾り立てるより、まず知りたい。盛り上げるより、まず理解したい。
そのうえで、伝える順番や、残す場面、言葉の選び方を考えていきたいと思っています。
企業の動画で届けたいのは、「懐かしさ」ではなく「自分にとっての意味」
音楽との再会が原点だからといって、企業の動画も感動的な作品にしなければいけない、ということではありません。
僕が企業の動画でつくりたいのは、「懐かしさ」そのものではなく、見る人が「これは自分にとって意味がある」と感じる体験です。
たとえば、商談前に送るサービス紹介動画をつくるとします。
サービスの機能や特徴を、きれいに並べることも必要です。でも、それを見た人に、どんな気持ちになってほしいのか。
僕なら、こんな気持ちを目指したいです。
「この人は、うちが困っていることをちゃんとわかっている」
「そこまで考えて対応してくれるなら、一度話を聞いてみたい」
大げさに感動してもらう必要はありません。自分たちの課題と、相手の提供しているものがつながる。その結果として、興味や信頼が生まれる。
採用のための密着動画でも、同じです。
たとえば、「社員を大切にしています」という言葉だけではなく、新人が失敗したときに、周囲の人がどう対応するかを見せる。
そこで、実際のやり取りを見た人が、「自分も、ここなら安心して働けそうだ」と感じるかもしれません。
これは、撮影のために美談をつくるという話ではありません。普段の仕事や人との関わり方の中にある、その会社らしさを見つけて届けたい、ということです。
僕は、こういうことも「心を動かす」に含まれると思っています。
泣かせることでも、壮大な演出をすることでもなく、他人事だったものが、自分に関係のあるものに変わること。
そして、その気持ちが生まれた人に対して、判断に必要な情報も、きちんと届けたい。
自社に合うサービスなのか。費用はどれくらいかかるのか。どこまで対応してもらえるのか。依頼すると、どう進んでいくのか。
そこを曖昧にしたまま、気持ちだけを盛り上げることはしたくありません。
「感動すれば売れる」という設計ではなく、興味や信頼が生まれ、納得して次の行動を選べる動画をつくりたいんです。
アルゴリズムと、本質は敵同士ではない
ここまで読むと、「この人は、アルゴリズムや数字にはあまり興味がないのかな」と思われるかもしれません。
でも、それは違います。
YouTubeの傾向や見せ方については、普段から勉強しています。タイトルやサムネイル、構成、編集の工夫も、当然大切にしています。
そもそも、最初にお話しした昔の音楽との再会も、おすすめに出てこなければ、そのタイミングでは起こらなかったかもしれません。
あれは、アルゴリズムに振り回された話ではなく、アルゴリズムが、価値のある再会をつないでくれた話なんですよね。
YouTubeの公式ヘルプでも、古い動画が再び見られる理由として、おすすめから選ばれる機会の増加や、新たな視聴者による過去動画の視聴などが挙げられています。また、おすすめシステムは、視聴者に合う動画を見つけるためのものだと説明されています。(YouTube ヘルプ:パフォーマンスに関するよくある質問)
積み重なったコンテンツがあって、そこに新たに出会う人がいる。久しぶりに出会い直す人もいる。
僕が好きなYouTubeの体験には、その仕組みも関わっています。
だから、否定したいのは、アルゴリズムそのものでも、伸ばすための工夫でもありません。
視聴者に何を届けるかを置き去りにして、数字だけを取りにいく姿勢。
僕が違和感を覚えるのは、そちらです。
ビジネスでYouTubeを活用するとき、制作や運用をする側に、「今うまくいく方法を知っているはずだ」「伸ばすための裏技があるのではないか」という期待が向けられることがあります。
成果を求めて依頼するのですから、その気持ちは理解できます。僕も、成果を出すための工夫から逃げたいわけではありません。
ただ、「今こうすれば伸びる」という手法だけに、僕の仕事の価値を置きたくないんです。
一方で、そうした工夫を、すべて「すぐに通用しなくなる小手先のもの」と切り捨てるつもりもありません。
たとえば、内容がきちんと伝わるタイトルやサムネイルを考えることは、抜け穴を突く行為とは違います。YouTube公式も、タイトルやサムネイルの変更による影響を、変更自体への優遇ではなく、視聴者の反応の変化が反映されるものとして説明しています。(YouTube ヘルプ:タイトル・サムネイルと視聴者の反応)
また、おすすめには再生履歴などが使われるほか、視聴後の満足度を尋ねるアンケートも判断材料に含まれています。単に長く見られたかどうかだけを扱っているわけではありません。(YouTube ヘルプ:おすすめの仕組み)
もちろん、だからといって、「熱意を込めた動画なら必ず評価される」という保証にはなりません。
大切なのは、つくり手がどれだけ熱を込めたつもりかではなく、それが実際にどう受け取られたか。そこまで確かめていくことだと思っています。
僕の姿勢を一言で表すなら、こうです。
YouTubeの傾向を学ぶのは、人を引っかけるためではなく、価値のあるコンテンツを、必要としている人に届けるためです。
アルゴリズムを理解することと、コンテンツの本質に向き合うことは、敵同士ではありません。
僕は、その両方を大切にしたいんです。
「数字を追わない」のではなく、その先で何が起きてほしいのかを考える
企業の動画をつくる以上、再生数やお問い合わせ、申し込みといった成果は大切です。
「いい動画ができたから、結果は気にしません」では、仕事として成り立たないと思っています。
だから、再生してもらうための工夫も追求しますし、公開後の反応も見ます。
ただ、数字を見るときに、忘れたくないことがあります。
再生されたその先で、何が起きてほしかったのか、ということです。
サービスを初めて知ってもらいたかったのか。それとも、すでに知っている人の不安を解消したかったのか。発信者の考え方を理解してもらい、相談するきっかけにしたかったのか。
そこが違えば、同じ再生数でも、僕たちが確かめたいことは変わります。
「クリックしてもらえた」というところで、仕事を終わらせたくありません。
見始めた人が、何を期待していたのか。その期待に応えられたのか。話を理解できたのか。「自分に関係がある」と感じられたのか。
必要な人が、次にどうすればよいかわかったのか。
数字も手がかりにしながら、その先にある体験を考えたいと思っています。
「数字を追わない」のではなく、「数字の向こうで、何が起きてほしいのかを大切にする」。
僕が目指しているのは、そういうYouTube制作です。
「企業の成果につなげたい」と「視聴者にいい時間を届けたい」は、どちらかを選ぶ話ではないと思っています。
僕は、視聴者として大切にしてきた体験を、つくる側になっても大切にしたい。そのうえで、人や企業の魅力が伝わり、必要な人に選ばれる仕事につなげたいんです。
YouTubeから受け取ってきたものを、今度は届ける側へ
ここまでいろいろとお話ししましたが、僕の原点は、やっぱり最初の話に戻ってきます。
YouTubeから学んだことがあります。誰かの言葉に支えられたことがあります。好きな音楽に出会い直して、昔の自分を思い出したことがあります。
そして、YouTubeを通じて、今の仕事にも出会いました。
だから、動画の向こうには、生活や想いを持った一人の人がいることを忘れたくありません。
その人は、仕事が終わって、ようやく落ち着けたところかもしれない。何かに困って、答えを探しているのかもしれない。来週の楽しみを見つけに来たのかもしれない。
そういう人が、自分の時間を使って見てくれる。
だったら、「見てよかった」と思えるものを届けたい。
再生してもらうための工夫は、もちろん追求します。でも、その先で何も残らなければ、僕が届けたい動画にはなりません。
発信する人や事業に向き合い、そのこだわりや熱意の理由を引き出す。そして、見る人にとって意味のある形で届ける。
「見てよかった」
「もっと知りたい」
「この人に相談したい」
そんな気持ちが生まれる動画を、同じ価値を大切にする方とつくっていきたいと思っています。
魅力を引き出し、選ばれる理由に。
それが、お客さまに届けたい価値だとすれば、その手前にある僕自身の原動力は、もっと個人的なものです。
自分がYouTubeから受け取ってきたものを、今度はつくる側として、誰かに届けたい。
まだ、自分たちの魅力をうまく言葉にできていなくても、構いません。
むしろ、その「うまく言えないけれど、大切にしていること」を、一緒に掘り下げるところから始めたいと思っています。
僕自身、YouTubeが好きな理由を考えていたら、最後に出てきたのが「思い出がYouTubeの中にある」という言葉でした。
「どうすれば再生されるか」を考えることも大切です。でも、その前に、「この人は何を大切にしているのか」「この事業は誰の何を変えようとしているのか」を知りたい。
そして、それが見る人の何とつながるのかを、一緒に考えたいんです。
10年前の音楽を聴きながら、ふと立ち止まった、あの時間のように。
すべての動画が、誰かの人生に残る作品になるわけではないと思います。それでも、見た人の気持ちやものの見方が、少し変わることは目指したい。
人の生活や記憶に関わる場所で、誰かにとって価値のある時間をつくる。
僕がこれからもYouTubeの仕事を続けていきたいのは、そういう理由です。
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